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2024/12/06 EDIT CATEGORY: ▲ TRACKBACK URL
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下書き状態のまま放置してるのが溜まってきたので
8月に書いたやつ
オバケのお話だ
今日も蒸し暑くて寝れないので
オバケのお話をするよ
俺が初めてオバケを見た時のお話
その時に見たオバケの正体は
俺の母方の曾祖母だよ
ひいおばあちゃん
まず
その曾祖母について書かないといけない
-曾祖母の容姿-
髪の毛は白髪で真っ白
左目も白内障で真っ白
たぶん右目も視力が弱かったんじゃないかと思う
いつも着物を着ていた
普通に不気味な老婆だった
-曾祖母と俺の係わり-
曾祖母は言葉を発せられなかった
なんか喉の病気だったのかも知れない
祖母の家に遊びに行くと
俺が祖母の家の玄関戸を潜る前に
曾祖母が よっこら よっこら 歩いて出てきて
お盆に乗せたニッキ飴とかカラフルなゼリーとかを俺にくれた
「 これをお食べ 」
って言ってるのは分かるんだけど
実際に発せられている言葉は
「 あ・・・あぅ・・・あ・・・ 」
だった
そして曾祖母がくれるお菓子は
どれもこれも絶望的に不味かった
言葉も喋れず左目は白内障で真っ白
すごく不味いお菓子をいつもくれる
俺は子供ながらに
曾祖母が不気味だった
だってその頃の俺はまだ小学生だぜ
怖がるなってほうが無理な話だった
-曾祖母の暮らし-
祖母の家には玄関入ってすぐに急な階段があったのだけど
曾祖母はその階段の下の部屋に住んでいた
階段の下の部屋と言っても
田舎の家だから敷地面積がそれなりにあったので
5、6畳はあったんじゃないかと思う
そして
俺が祖母の家に着いたと同時に
お盆に乗っけたお菓子を俺に届けてくれる以外
その部屋から殆ど出なかったように記憶している
-曾祖母について疑問に思っていた事-
階段下の部屋から殆ど出てこない ( 便所に入って行くのは何回か見た )
朝食、昼食、夕食の時間も出てこない
今考えるとすごい不思議
ひとつ屋根の下で生活しているのに
祖母と祖父と曾祖母が一緒に食事しているのを見た事がない
さらに
俺は曾祖母の下の名前も知らかった
曾祖母が亡くなった数年後に
墓石に刻まれた名前を見るまでは
-曾祖母について今の俺が思うこと-
あの人は可哀相な人だったのかも知れない
曾祖母は要するに祖父のお母さんという事になるのだが
小学生の俺から見ても大事に扱われているようには見えなかった
たぶん・・・
たぶんだけど祖父祖母ともに
曾祖母の事を厄介者みたいに扱っていたんじゃないかと思う
祖父は農業を営んでいるのだけど
農作業に出る体力も無くなってしまった曾祖母の事を
あまり大事に扱っていなかったんじゃないかと思う
なので
階段の下の部屋に追いやって・・・
ちょっと祖父祖母の事を非情な人間みたく書いてしまったけれど
俺にとっては優しいジイチャン、バアチャンだった
それに曾祖母をあまり大事にしてなかったのは事実だけど
虐待とかしてた訳じゃないから
まあアレだ
こういうのは昔の田舎の農家にはよくある話だと思う
で
T壱との話なんでちょっと脱線するけど
書きたいから書く
T壱は仕事の関係で
田舎の一軒家、古い木造建築の空家などの内部を探索しないといけないんだが
そういう時に限って俺に電話してくる
「 まじで気持ち悪い家でよー 」
「 家の後ろとか竹薮でさー 」
「 まじで38に見せてやりたいくらい不気味なんだよー 」
みたいな話
そういう話の時は
いつもこう返答してやる
「 階段の下に部屋がないか調べろ 」
「 もし部屋があったなら覚悟を決めて入ってみろ 」
「 たぶんカラッカラに乾いた婆さんが座ってる筈だから 」
2010/09/14 EDIT CATEGORY:懐古 TRACKBACK: ▲ TRACKBACK URL
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