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2024/12/05 EDIT CATEGORY: ▲ TRACKBACK URL
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2024/12/05 EDIT CATEGORY: ▲ TRACKBACK URL
そうだったのか...................
お中元の時期だから
こんなにハムが..................
ということで
冷蔵庫の扉の前で積み上がったハムのダンボールを
もう一気に3個4個抱え上げて
ファイナル☆ファイトのハガー市長のように
うぉーーーーっ
うぉぉおおーーーーっ
つって
別の場所に移動させ
やっとこさ冷蔵庫の扉を開け放ち
上半身にドカジャンを着込んで冷蔵庫内部に突入し
白い息を吐き出しながら
せっかく出しやすいように綺麗に並んでいる商品を
奥へ奥へと運んで移動させ
そこの空いたスペースに
外に積み上げられているハムどもを詰め込んでいった。
そうして
外に積み上がっていたハムどもの半分くらいを
冷蔵庫の中に収められた頃には
もう昼メシ時を1時間くらい過ぎていた。
主任さんも最初に俺に言ったとおり
3時間ほどで廃人みたくなり
昼メシも喉を通らないくらい疲れたから
遅くなって悪いけど君だけ昼メシ食ってきてくれるかな..........
でも、できるだけ早く帰ってきてね..........
つわれた。
しかしながら主任さん
頑張って早くメシ食って帰ってくるけどさ。
冷蔵庫の中の通路がハムで埋まってるんだぜ?
他に積み上げられる場所はなくなっちゃったんだぜ?
それでも半分は外に残されているし
いったいどうしろと............
と、心の中では思っていたが
焦燥し疲労しきった主任さんの青白き顔を見たら
そんな事は言えなかった。
とにかく
早くメシ食って戻らないと
しゅにんさん しんじゃう!
と、思ったので
近くのコンビニで簡単に食えるのを選んで
そのまま車の中で10分ほどで完食してから
駆け足で主任さんの待つ冷蔵庫まで戻ろうとした その途中
営業所に大型トラックが入ってきた。
俺は目を疑った。
大型トラックはそのまま冷蔵庫の前の段差までバックで入っていく。
冷蔵庫の扉の前で膝から崩れ落ちる主任さんの姿。
そのまま膝を抱えてガックリと肩を落とす主任さんの姿。
うそだ!
そんな筈はない!
こんなの間違っている!
主任さん!
しゅにんさーーーん!
まってろ! 今たすけに!
つってたら
トラックの運ちゃんが荷台の扉をバックリ開けた。
ええ、そうです。
また、大量のハムが到着しなすった。
そもそも
朝の内に届いたハムの半分しか冷蔵庫のなかに収められていないし
それで冷蔵庫のキャパは イッパイ イッパイ なのに
何故だ?
何故、また、新たなハムが届く?
なにゆえだ! なにゆえそれほどまでにハムは怒り荒ぶるのか!
しねハム! そなたは醜い!
ということで
倉庫の前の
なんていうか腰くらいの高さの段差があるじゃない。
トラックのアレに合わせた段差の部分あるじゃない。
そこが人ひとり通れるか通れないくらいにハムの箱で満たされた。
もう手の付けようがないとはこの事。
俺は恐る恐る屍のような主任さんに話しかけた。
『 これ、もう、無理ですよね 』
膝を抱えたままの主任さんは俺を見上げようともしなかった。
しかしながら
チカラなく細い腕を上げて
冷凍庫のほうを指差した。
そして、こう言った。
『 最終手段............ 』
『 冷凍庫のほうに詰められるだけ詰めよう........... 』
『 そこにあるのとかは、なんとか凍っても大丈夫な商品だから............ 』
俺は
本当に小さく頷いた。
言うまでもなく
主任さんも分かっている筈だ。
冷凍庫のほうの商品は
全部が重い。
ギッチギチに詰まったホルモンとかが凍ったやつを
全部奥に退かしてスペースを空けるのは
なかなか大変な労働になる。
それを分かっているうえで
主任さんは言うのだな.................。
しかしながら
当時の俺はまだ若さ溢れる人間だったから
主任さんが壊れた糸人形みたいにカクカクしてて頼りにならなくても
黙々とその作業を行った。
で
結局のところ
その作業は殆んど意味を成さなかった。
冷凍庫の中の商品は賞味期限とかが長いから
大量に納入されて詰まれたままになっていたので
スペースを空けようにも
元々、ギッチリ詰まりすぎていて
ほんの2畳分くらいしか空けられるスペースがなかった。
で
その後
いつも午後5時の定時に帰っていたのを1時間くらい居残って作業したが
ちっともハムの山は片付かず
ボロ着れのようになった主任さんを残して俺は帰宅した。
まあ、バイトだからね。
責任感とかそんなないですから。
ちゃんと精一杯頑張ったし。
きっと夜に別の人が頑張って
明日に来てみたら
ちゃんとなんとかなってるんじゃねえの?
ということなんだけど
ぜんぜん話が進まない。
俺が野良犬の王に至るまでの話なのに。
つっても
それまでの経過を書かないと
なんで俺が公園の野良犬の王になったのかがアレしないから
また次に続けて頑張って書き残す。
2013/08/13 EDIT CATEGORY:懐古 ▲ TRACKBACK URL
めでたく ハムさん となった俺だったが
その後も ハム屋 で真面目にバイトを通した。
ハム屋 には
同年代の人間は居なかったから
昼メシの時間とか
独りでコンビニまで車はしらせて
パンとか弁当とか買って
コソコソと一人ぼっちで食べていたが
昔から孤独には強い人間だったようで
別に寂しいとか思わずに
普通に快適なバイト生活を送ったと思う。
そしてから
その昼メシの時間とかは ハム屋 の休憩所みたいなところで食うのが多かったから
そうやって一人でモソモソと食ってる俺に
よくパートのオバチャンが話しかけてきたりしたが
いつも話の最後に高確率で
こう言ってきた。
『 こんなとこ若い子が居る場所じゃないよ 』
『 夏前に辞めちゃったほうがいいわよ こんなとこ 』
などと言われた。
確かに当時の俺は若くて馬鹿だったけど
馬鹿は馬鹿なりに言葉の意味を深読みした。
なんでそんなこと言うんだろう?
もしかしたら.............
俺が役立たずだから早く辞めろっつうのを言いたいのか?
しかしながら
パートのオバチャンと俺の仕事内容は全然別の種類だから
オバチャンに迷惑かけているという事はない筈なんだが.............
しかも
《 夏の前に 》
という言葉が気になる。
ということなんだが
これが何を意味していたのかは
夏になってから分かった。
そしてから
同年代が居ないから人間関係がツマラナイという事もなくて
倉庫業に慣れてきてから
必殺仕事人の中村モンドさんに似たジイサマと新しく仕事を組まされた。
そのジイサマの小型冷凍トラックの助手席に便乗させてもらって
県内各地の卸問屋みたいなとこにハムを運ぶ仕事が増えたのだ。
ジイサマは冗談を言って人を笑かすようなタイプではなかったけど
俺みたいな馬鹿な若者の話もちゃんと聞いてくれるし
笑い上戸なのか
そんなに面白い話をしている訳じゃないのに
頻繁にガハハ!と、笑ってくれるもんだから
俺は けっこうそのジイサマに懐いた。
ジイサマとパートのオバチャンの他にも
バイトの俺が毎日顔を合わせる人が居て
その人の立場は確か主任さんだか何だかだった気がする。
主任さんは板尾イツジさんが極限にまで痩せたミイラのような人だった。
痩せている俺から見ても
主任さん痩せ過ぎだろ............
という感じだったから
パートのオバチャンにもよく言われていた
『 まあた痩せたんじゃない? 』
『 ストレスのせいよね 』
『 まったく、ここの署長は、ほんっとにもう嫌な人ねー 』
みたいな事をよく言っていた。
主任さんは苦笑いで誤魔化しながら
パートのオバチャンの文句を聞き流していた。
俺は思った。
ここの署長さんとは面接の時に1回会っただけで
その後は1度も会ってないな。
そんなに厳しい人なんだろうか?
そんなこんなで
やがて季節は夏になった。
そんな夏のある日に
いつものように ハム屋 の駐車場に自分の車を停め
さて
今日も さっさと商品の前だししちゃおうかな!
と
冷蔵庫へとトコトコ歩いたら
俺はそこで立ち尽くす事となった。
冷蔵庫や冷凍庫に収まりきらないハム商品が
うず高く山のように聳え立っていた。
冷蔵庫の扉の前にまで山になっていて
人が中に入れないほどの量だったのだ。
俺は心の中で叫んだ。
なんだこれーーーーー!
と。
そうやって冷蔵庫の中にも入れずに
オロオロしていたら
青白い顔をした主任さんがフラフラと歩いてきて
こう言った。
『 とりあえず.......... 』
『 とりあえず なんとか冷蔵庫の中のモノを全部奥に詰めて 』
『 空いたスペースにコレらを詰めようか........... 』
そう言われても
俺は固まったままだったから
返事を返す事も出来ずに
ダンボールの山を見ていたら
『 大丈夫........... 』
『 こんなの一人では無理だから 』
『 俺も手伝うから大丈夫 』
『 ただ......... 』
ただ?
ただ、なんですか?
と、やっと我に返った俺が
主任さんの言葉の続きを聞き取ると
『 ただ 』
『 見ての通り、俺は昨日から営業所で徹夜だ 』
『 3時間くらいで動けなくなると思っていてくれ 』
『 その後は........... もう、なんとかなるのを祈るしかないな.......... 』
それを聞いて俺は
うひょー! 大丈夫なのかなこれー! と、思った。
だって季節は夏ですから
しかも相手は燻製にしてあるとはいえ生ものですから
こうしている間にも事態は悪化していく。
そしてもっと冷静なってよく考えた。
なんでこんな事になっている?
もう6ヶ月ほども ここでバイトしているけど
こんな事は始めてでヤンス。
考えろ..........
少ない脳味噌で よく考えるんだ俺............
今は夏だ。
夏と言って連想するのは
カキ氷とかスイカとか
うーん..........
そういえば
もうすぐ お盆 だ。
おぼん!?
おぼんといったら!
おちゅうげんの時期じゃないですかぁぁぁぁあああ!
だからこんなにハムが!
だからハムがこんなことになっているのかぁぁああああああ!
くっそぉぉおおおおお
ハムのくせに俺を困らせやがってぇええええええ!
主任さんなんかハムで死にそうになってるじゃんかぁあああああああ!
なんということだうひょぉぉぉぉぉおおおおおお!
ということで
また、次に続ける。
2013/08/13 EDIT CATEGORY:懐古 ▲ TRACKBACK URL
海の家では娯楽がない。
かなり昔に買ったコンポもCDの出し入れ口が死んでるし
ラジオの受信機能も壊れているようでラジオも聴けない。
( ウォークマンがあるけど海の家では出来るだけ聴かないようにしている )
ガラケーでインタネッツみるのもアレだし。
ですから
海の家に独り居て
耳に聞こえてくるのは
風の音と木の葉が擦れ合う音とか
訳の分からん虫どもの鳴声とか
近くの茂みの中でタヌキがギャー!ギャー!喧嘩してる声とか
あとは
微かに小波が砕ける音くらいですので
まっこと退屈極まりないのだけど
それがまた慣れると楽しいというか心地良い。
孤独とか苦手な人は駄目だろうけど
俺は独りで居るのがけっこう好きですから
ぜんぜん大丈夫。
北チョンのスパイなどに拉致されそうな海沿いの夜道も
鼻歌しながらフンフン ♪ と歩いて楽しんでいる。
これが一昔前だったら
かなりの危険行為だと思う。
今現在でも
《 不審船を見つけたら通報して下さい 》
などと表記された立て看板が海沿いに存在しているくらいだから。
で
このまえ海の家に宿泊し
その退屈な夜の時間を楽しみながら
下手糞なギター弾いたり
漫画読んだりしていたが
そういうのも両方、1時間くらいで集中力が切れたり飽きたりするから
布団に転がりながら
腹の上にバスタオル乗っけた状態で
色々と過去の事を思い出したりしていた。
その思い出の中から
ハムの思い出を書き残そうと思う。
今なんて調度お中元の時期まっただなかですし
ハムの話してもいいんじゃないかと思うから。
我が名はハム! そして! 野良犬の王である!
という話だ。
あれはそう...........
ワタシが18か19くらいの頃だったか。
ハム屋さんでバイトしてたのよワタシ。
ワタシ、気ままなフリーターだったのよ。
ハム屋つっても
どこかの商店街でハム売るバイトじゃなくて
地元のハムの営業所?みたいな所でバイトしてた。
名前を出すとアレだから
まあ、ここだったのよ。
以下、名前は伏せてハム屋と書く。
で
俺の仕事内容はと言うと
所謂、倉庫業だったのよ。
倉庫業つっても20畳くらいある冷蔵庫と冷凍庫をいったりきたりするやつだった。
トラックで納入されてくるハムなどをそこに運んで
冷蔵庫の中で積み上がったハムの箱から
賞味期限が古いのを前だしとかするヤツだったのよ。
ハムの重さなんて たかが知れているからな。
肉体的な辛さは ちっとも感じなかったでヤンスね。
で
当時、付き合ってた彼女が居て
その娘は あんまり人の事情を勘繰ろうとしない娘だったから
俺のバイトの職種とか訊いてこなかった。
それでハム屋でバイトを始めて3ヶ月くらい経ってから
要約
『 そういえばバイトって何処でやってるの?』
つって訊いてきたから
『 ん? ハムだよハム。 ハム屋さん。 』
つったら
爆笑された。
『 アハハハハハハ! 嘘ついてるでしょ! 』
『 ハム屋ってなんなのアハハハハハハ! 』
『 なんなのハム屋っていう響きが面白すぎるアハハハハハハ! 』
ということで
腹を抱えて笑う彼女を
こちらも
えへへ、そうかな? そんなに面白い?
ハム屋って変かな?
みたいに笑って返事してたけど
結局のところ
あんたはそのハム屋でどんな作業してるのか?
と、訊かれたから
先に書いた通り倉庫業をやっております。
と、答えたのだ。
で
それにしてもハム屋とか似合わねえアハハハハハハ!
つわれたので
アホめ! 自給もソコソコ貰えるんだぞ!
飲食業のバイトみたいに客にペコペコしなくてもいいしさ!
つっといた。
しかしながら
彼女の言う似合わないつうのも、まあ、分かる気がした。
当時の俺は毛先とか赤く染めたりしてたから
そんなのがハム屋でバイトとかしてたら
けっこう面白いのかも知れないと思った。
そうして
ハム屋の事を告白してから1ヶ月くらい経ったのだけど
その間に
彼女が俺の事を
《 ハムさん 》
と、呼び出した。
元々、あだ名が2文字で
ハムという響きに似たあだ名だったものですから
ハムさん と呼ばれるようになってしまった。
そしてから
当時は彼女を交えて色んな友達グループと交際があったから
そういうグループとメシ食いに行ったりすると
初めて会う人らも居た。
そうすると
『 えっと、俺はSモッキの友達の何々と言う名前だけど 』
『 君の事は何て呼べばいい? 名前はなに? 』
などという局面に立たされる事も多くありまして
それに対して
恥ずかしがり屋の俺は
『 えっと.......... そうだな.......... 俺は........... 』
と、口ごもっていると
彼女がしゃしゃり出てきて
『 この人はハムさんだよ! ハムさんって呼んでね 』
ついやがった。
相手は困惑顔になり
『 ハム? え? なにそれ? あだ名がハムなの? 』
『 それにしたって、どうしたら そんなあだ名に.......... 』
『 まあ、それでいいなら、そう呼ばせて貰うけど 』
『 ハム!って呼ぶのも失礼だし ハムさん って呼ぶよ 』
ということになった事例が幾つも続いた。
それがまた加速しやがって
ごく親しい仲間内からも面白がられて
みんなから ハムさん! と、呼ばれだす始末...............。
コンビニとかで偶然顔を合わせても
『 おっ! ハムさんじゃないか! なにしてるの? 』
とか。
少し彼女を憎んだりしたが
2ヶ月くらい経つと俺も段々と慣れてしまい
ハムさん! と呼ばれても動じなくなった。
何ヶ月間くらい
みんなからハムハム言われてただろう?
ハムさん というあだ名に書き換えられた事で得した事などなかった。
大体がアレだ。
俺が太っていてムチムチしているなら
あだ名が ハムさん でも良いと思ったが
当時から俺は痩せっぽちだったから
ハムさん なんてあだ名はちっとも馴染まないんだよな。
しかしながら
ハムさん と呼ばれる事で
これは......... ハムさん で居るのも悪くないな.............
と、思った事柄が ひとつだけあった。
彼女と交尾してるときに
耳元で
『 はぁむ さぁん 』
と、吐息混じりに呼ばれた時には
うひょー! と、思った。
そうだ! おまえはハムの人に抱かれてるんだぜ!
ハムの人なんかとおまえセックスなんてしちゃって
おまえはアレだな! ぐへへ! ハムの人なんかと! ぐへへ!
みたいな
なんか悪い性癖の芽が出たような気がして
少しだけ罪悪感なども感じたけど
なんせ若かったものですから
交尾中の ハムさん は気に入っていた。
という事なんだが
長くなったので次に続けようと思う。
とりあえず
俺がハム屋でバイトを始めた為に
一時期あだ名が ハムさん になってしまったという事だ。
そして ハムさん となった俺が
行く行くは公園の野良犬たちの王として君臨する事になるのだ。
2013/08/13 EDIT CATEGORY:懐古 ▲ TRACKBACK URL
6月3日
遅過ぎたかも知れない。
下手したら
あと、10年、15年、訪れるのが遅かったのかも知れない。
眠れないので
この時間を有効利用して
幼少期の記憶の中の深〇鉱泉の思い出
それをなんとか
記憶の井戸つうの?
もう石ころやら土砂やらで詰まってるような井戸の状態だが
それでもなんとか薄い記憶を手繰り寄せつつ
インタネッツのチカラも借りつつ
アレしてやろうと思う。
まず
うちの父親が
何故、こんな場所の旅館に宿を取ったのか意味が分からない。
想像するに
深〇鉱泉というのは
それこそ数100年(以上)前くらいからの歴史ある湯治場で
(また時間がある時にでも、どれくらいの歴史があるのか調べたいと思う)
そういった大昔の頃には
きっと深い山の中に炭焼きやらの職業者が多く居たのだろうから
そんな人達にとったら大いに重宝された湯治場だったのだろうと想像する。
それはそれでアレだけど
それが昭和後期になりましたら
炭焼きの人らも ほぼ絶滅しただろうし
わざわざ不便な山の中まで入ってくる入浴客など
少数になってしまったのではないかと思う。
そういう意味で
なんで うちの父親が深〇鉱泉に宿泊しようと思ったのか意味が分からない。
当時は有名だったんだろうか?
秘境の中の温泉施設だとか
そんなだったのだろうか?
とりあえず
それは置いといて
俺はいったい、何年の何時頃に深〇鉱泉に連れて行かれたのか?
野大の深〇区までの移動手段は?
父親の車に乗って行ったのだろうか?
俺の記憶では
父親、母親、母方の父・母、俺 の5人で宿泊したのは間違いない。
あの頃の父親が乗っていた車の車種はなんだったろう?
マークⅡだったような?
俺が小学校低学年だった頃は
この型のマークⅡに乗ってたように記憶している。
( 後に免許を取ったばかりの俺が
冬の雁〇原スキー場へ続く道の途中でスリップさせ
大破し廃車へと追い込む )
父親がよく言っていたのは
『 この車は別名白いゴキブリと呼ばれているんだ。 』
つってたのを思い出す。
あまりにユーザーが多く
町中にゴキブリが大繁殖したように溢れて走っていたので
町を走る白いゴキブリと呼ばれていた。
つう話だった気がする。
そして
俺は車は詳しくないからアレだけど
この型は5代目マークⅡと言うことで
その発売日を調べてみると
1984年発売とあった。
まず、父親がこれを新車で購入したのか
それとも中古で購入したのか
ちっとも記憶にない。
もし、中古で購入していたのなら
発売年の1984年より2年3年ほど後になると思うが
とりあえず
これもちょっと置いといて
今、新たに重要な記憶が蘇ってきた。
スーパー・マリオ・ブラザーズ。
俺は
この深〇鉱泉の玄関から宿泊する部屋に通された時でも
その部屋の座布団の上に腰を下ろした時でも
(もしかしたら車の中でもずっと)
スーパー・マリオ・ブラザーズの説明書を肌身離さず持っていた記憶がある。
これは、ほんと、深〇鉱泉とはなんら関係がない記憶だけど
年代を知るには重要な記憶と思う。
なんでそんなにスーパー・マリオ・ブラザーズの説明書なんかを
大事に持ち歩いていたかと言うと
俺の記憶では
なんかパラフィン紙?みたいな
裏側が透けるような薄い紙も一緒に所持しており
要は、その説明書に印刷されている
ノコノコ だとか クリボー だとかを
上から なぞり描き して
それをジイチャンやバアチャンに見せて
『 おうおう、38。 上手に描いたなぁ。 』
と、褒めてくれるのが嬉しかったのだと思う。
そして
この旅館の宿泊部屋に折り畳み式のテーブルがあったから
すぐにそれを出してもらって
そのテーブルの上で前記した通り
カリカリと鉛筆でノコノコやらクリボーを写し取っていた記憶がある。
そして
スーパー・マリオ・ブラザーズの発売日は
1985年 ( 昭和60年 ) だ。
現在2013年から遡り約28年前が発売日となる。
そうするとだ。
当時の俺の年齢は..........。
小学1年生...............。
『 ぼく? んんとねぇ、ななさいだよ! 』
まじか...........。
ま~じでかぁ~...................。
はっきり言うと
正直、小学校低学年の頃の思い出なんて
ろくに、まるすっぽ、殆んど、覚えてないと言える。
その頃に一緒に遊んでいた同級生とかに
こんな事があっただろう?
つわれたら
なんとなく、うっすら、かなり不鮮明に当時の事を思い出せるくらいだと思う。
うーん...........。
あれは新品のスーパー・マリオ・ブラザーズの説明書だったのだろうか?
もしかしたら
その発売日より1年後とか2年後とかに購入したのかも知れないし...........。
しかしながら
記憶が正しければ
父親が当時乗っていたマークⅡ( もし新車で購入していたなら ) の発売年は1984年頃
スーパー・マリオ・ブラザーズが発売されたのも1985年頃
それらに触れていたという当時の俺の記憶が正しいなら
深〇鉱泉に宿泊した年は
1985年か
その後、2年か3年後なのかも知れない。
うおおおお
脳味噌が頑張りすぎて鼻血でそう.........。
今日はこれくらいにしておくか。
(続
2013/06/06 EDIT CATEGORY:懐古 ▲ TRACKBACK URL
1月3日
この前
海遊び終えて
帰りの車内で H と会話してたら
2012年で一番楽しかったのってなに?
やっぱり4国まで海遊びに行った事だね!
おまえもそう? 俺も俺も!
特に思い出深いつうか
一生忘れられない思い出は
《 谷口 夏のパン祭り 》 だよな!
間違いない! それは間違いない!
ということで
2人しか居ないけど満場一致で
4国海遊び旅行が2012年の最高の思い出ということになった。
俺は嬉しかった。
俺はとにかく
H も4国海遊び旅行が一番楽しかったと言ってくれて嬉しかった。
あんな糞遠いとこまで
よく行ったなぁ。
そして
行った甲斐があったな。
ナビもなく、古い地図だけで
ろくにオイル交換もしていない
ゴミ燃費の俺の車で
あの糞暑いなか
あの糞遠い距離を走って
辿り着いた4国は夏だったな。
凄まじく夏だったな。
あれが春とか秋だったら
こんなに強く思い出に残らないのだと思うね俺は。
夏だったから楽しいのが2倍くらいになったんだ。
そろそろ
4国海遊び旅行の思い出を整理したいけど
部屋は寒いし撮った画像が多すぎるしで
なかなか日記に出来ないでいる。
これを撮った直後に
谷口、夏のパン祭りになった。
泊まったホテル。
部屋やロビーは古くて陰気なホテルだったけど
外観は夏っぽくて素敵だった。
波の糞さと人の多さにウンザリして
一人で観光して周った時の
道の駅かなんかの玄関から見上げた
ソテツかなんかの葉っぱ。
素敵だった。
そして
行きの途中で見つけた廃墟みたいな施設。
時間が無いなか帰り道に
急ぎ足で探索したレンガ造りの建物。
ラピュタに出てくる建物みたいで感動したな。
廃墟好きの俺は凄く凄く楽しかった。
廃墟ではなかったけどな。
瀬戸大橋から見下ろした海。
沢山の島影と沢山の大型船舶。
幻想的だった。
今年は
今年の夏は
今年の夏も何処か遠く行きたい。
出来ればまた H と一緒に行けたらいいけど
今年は単独で行ってもいいな。
鳥取とか行って見たいな。
2013/01/03 EDIT CATEGORY:懐古 ▲ TRACKBACK URL
2012 12月8日
12月に入ってから
初めて
ミゾレでもなくアラレでもなく
ちゃんとした雪が降った日
1cm程度のものだけど
冬になってから始めての、まとまった積雪だった。
夜にジイチャンが死んだ事を知らされた。
不思議とそんなにショックは受けなかった。
なんたって
もう、俺が20歳になる前から
母の姉が遺産争いの火蓋を切ってくれたお蔭で
俺はジイチャン家に行けなくなった。
行けなくなったと言うよりは
母の姉が自分の息子を引き込んで
ジイチャン家で同居を始めたせいで
俺にとってジイチャン家には近づき辛い状況になってしまった。
それでも
バアチャンが、こちらの近所の病院に通院する事になってから
1ヶ月に1度は
俺がジイチャン家までバアチャンを迎えに行っていた。
俺が玄関までバアチャンを呼びに行き
玄関先でバアチャンが出てくるのを待っていると
ジイチャンは用もないのに
部屋の襖を開けて出てきて
『 バアチャンむかえにきたんかぁ 』
『 さむなったな、さむなった 』
『 きをつけてなぁ 』
俺は
「 うん、寒くなった 」
「 ジイチャンも風邪ひかないように、きをつけてな 」
ジイチャン
『 うん、ジイチャンは大丈夫や 』
『 バアチャンたのむなぁ 』
そう言って
玄関戸を開けたまま
俺とバアチャンが車に乗り込むまで見送っていた。
こんなのバアチャン迎えに行く度に何度もあったよな。
昔と比べると
よそよそしい会話だったけど
少なくとも俺とジイチャン
孫と祖父の関係性みたいなモノは
互いの心の中で失われていないと思った。
そういう関係も
バアチャンが病院に通院しなくなってから
なくなってしまった。
もっと昔
正月や盆には親戚一同がジイチャン家に集まって過ごしていたけど
母の姉一族がジイチャン家で同居を始めてからは
誰も集まらなくなった
母の姉一族が完全にジイチャンたちを孤立させた。
それから10年以上も経って
ジイチャン・バアチャンと1度も会わずに10年以上も経って
ジイチャンが死んだ。
ショックもなにも
どうやって実感しろって言うんだよジイチャンよ?
12月10日
ジイチャンの納棺&お通夜に参列す。
葬式の事とかチンプンカンプンだから
どういう流れでアレだったのか、よく分からんけれど
とにかく
ジイチャンの葬式に親族として参列す。
正直のところ
まさか呼ばれるとは思わなかった。
よくもあれだけ親戚関係を滅茶苦茶にしといて
俺らを呼べたもんだな。
どういう気持ちで俺らを参列者として迎えられるんだ?
ふざけるなよ。
そういう気持ちがあった。
ジイチャンの玄関で靴を脱いでから
ジイチャンが寝かされている広間に着席するまでの間
一度も
母の姉一族の顔さえ見なかった。
広間に寝かされているジイチャンを
たぶん10年以上だろうな。
それくらい久しぶりに見た。
ジイチャンの顔は
骨ばったミイラみたいだった。
随分とまあ
ジイチャン、縮んじゃったな。
目に涙が溜まった。
奥歯を噛み締めて
涙が落ちそうなのを我慢した。
母の姉一族に
俺が泣いている姿なんて見られたくない。 ( 後々、こういう我慢がいけなかったと思った )
見られてなくても
おまえらと同じ場所で泣いて堪るか。
おまえらの悲しみと
俺の悲しみは別のものだ。
同調なんてして堪るか。
そんな気持ちだったと思う。
葬儀屋がやってきて
ジイチャンに湯灌を施す。
湯灌つうのは
遺体の髭を剃ってくれたり ( 人間は死んでからも髭が伸びるらしい )
体を拭いてくれたり
香水をかけてくれたりするやつ。
なるほど、死んだら葬儀屋みたいな赤の他人に
こんな事までされるんだ・してくれるんだ
俺はこんなのやられたくないな。
そんな風に
けっこうドライな気持ちで見ていた。
そして
葬儀屋の手によって
ジイチャンが棺桶に納棺された。
きっと棺桶は中国製なんだろうな。
テレビでやってた。
日本の棺桶の80%は中国で製造されてるって。
葬式に使用する物くらい
せめて全部、日本製でやって欲しいよな。
アリガタミみたいなものがさあ.....
あれ?
そんな事よりも
ちょっと待ってくれ。
葬式の事を何も知らない俺は焦った。
もしかしてこれでジイチャンの顔は見納めなるのか?
ちょっと待ってくれ。
もう少し、顔を見せてくれ。
( 実際には、その後にも何度かジイチャンの顔を見られる機会はあった )
ジイチャンの入った棺桶が
ワンボックス車に乗せられて
葬儀場に送られる。
ジイチャンの葬儀場は
昔はゲームセンターだったのを
葬儀場に改装された建物だった。
後はお通夜だかなんだか知らんけど
親戚同士で
仕事は上手くいってるか?
だの
あそこの家で子供が生まれて
だの
今後の天気の移り変わりがどうのこうの
なんなんだよこれは?
故人を思い出して懐かしんだり悲しんだりする行事じゃないのかよ?
葬式とか通夜とかってのはよ?
意味が分からねえよ。
宗家だとか分家だとか
ぜんぜん顔も分からない人間が
どうのこうの世間話をして
ああ、もう、俺に話しかけんなよ。
誰だよ、てめえは。
『 今日も寒いですねー。 昨日よりはマシですかね? 』
知るかよ。
そうですねー。 としか返しようがねえだろうが。
だから、おまえ、誰なんだよ?
ジイチャンのなんなんだよ? なに関係者なんだよ?
話しかけるならジイチャンについて
何か知っている事を教えてくれ・話してくれよ。
おまえが寒かろうが暑かろうが
どーーーでもいいんだよ。
ということで
知らぬ人らの輪の中から外れて
喫煙所でモクモクと時間を過ごすしかなかった。
何度か席に戻ったりもしたけど
やっぱり居心地が悪くて
数分後には喫煙所で煙に巻かれていた。
そうしていると
親戚の大工のオッチャンが俺に話しかけてきた。
どうせ同じ事だ。
『 外仕事は今時期つらいな。 』
『 俺は13日から建前だよ。 まったくもう。 』
『 どうだ? そっちの仕事は上手くいってるか? 』
ほうらみろ。
やっぱり同じ事だ。
「 ええ、ほんとに寒くなったから大変ですね。 」
「 はい、なんとか忙しくやってます。 」
もう、いいよ。
俺は独りで放っておいてくれよ。
何度かそう思った。
でも、おかしな事に気づいた。
俺が席を外して喫煙所に向かう度に
大工のオッチャンも出てくる。
もう、話す事もないのに
俺の向かいのソファーに腰掛ける。
沈黙同士。
『 そういえば、海の家は利用してるのか? 』
「 ああ、はい、海遊びするから日曜とかは、だいたい使ってます。 」
『 おお? 今でもやってるのか? 雪降ってるのに? 』
「 ええ、寒いですけどね。 」
『 そうか、ふーん。 寒いだろうなー。 』
沈黙。
今考えると
大工のオッチャンは
俺が幼い頃からジイチャン家に預けられて
かなりのジイチャンっ子だったのを知っているし
その後のゴタゴタに巻き込まれてからの
俺の境遇も理解している人だから
よく分からないけど
近くに居てくれたのかも知れない。
俺の勘違いかも知れないけれど。
午後10時近くに
喪主家族やら宗家のなんか知らん人らだけ残してお開きとなった。
自宅に帰るまでの車内で思った。
明日はジイチャンの体が燃やされてしまうんだな。
ジイチャン、最後は幸せだったのかな?
曾孫にも囲まれて愛されてたみたいだし
きっと幸せだったよな。
納棺された直後に
バアチャンが棺桶に体を寄せながら
『 ながいあいだ、ありがとうなあ。 』
『 おじいさん、ほんとうに。』
『 ながいあいだ、ありがとう..... ありがとうなあ。 』
そう言って泣いていたよな。
それでも俺は泣くものかと思っていたけど
一筋だけ涙を落としてしまったよ。
一筋だけだからまだ大丈夫なんだぜ。
まだ俺はタフガイだからな。
ギリギリセーフってことだぜジイチャン。
あの母の姉との同居生活で
ジイチャンとバアチャンの関係性も危なかった時期があったのは知ってる。
バアチャンが冷遇されて酷い目に遭わされたのも知ってる。
母の姉に殴られて目の周りが青痣になった時なんか
ジイチャンが止められない・止めないなら
俺が乗り込んで無茶苦茶にしてやろうとも思った。
全部ぶっ壊してやろうか?
くそったれと思った。
そういう環境を作り出してしまった罪は
ジイチャンにもあるんだぜ?
その後の生活はバアチャンにとってどうだったのか
部外者にされた俺には分からないけど
それでも
最後にバアチャンは長い間アリガトウって言ってたぞ。
それで俺は
やっぱりジイチャンだ。
俺の知ってるジイチャンだったんだと思った。
嬉しかった。
2012/12/14 EDIT CATEGORY:懐古 ▲ TRACKBACK URL
母が産後に体調を崩したので
俺は幼い頃から
毎週土曜日から日曜日の夜まで
おGちゃんの家に預けられていた
土曜の夜、おGちゃんと一緒に寝床に着くと
俺が眠りに着くまでの間
きまって怖い話を聞かせてくれた
怖い話と言っても
子供騙しの怖い話だった
俺が今でも天狗が好きなのは
おGちゃんの怖い話に天狗が多く登場したからだと思う
おGちゃんの脚色した昔話では
天狗はいつでも人間に悪戯して遊ぶ悪い天狗だった
そして物語の最後は
だいたいが村人にリベンジされて天狗は痛い目をみていた気がする
神社の高い木の枝で居眠りしてるところを
村人に竹やりで尻を突つかれて
びっくりして落下して しこたま腰を打って天狗は大泣きする
または
自慢の鼻がポッキリと折れてしまって大泣きする
あまりに可愛そうに思った村人に
鼻に添え木してもらったりして
そのお蔭で自慢の鼻が復活してからは
村人にも悪戯せずに困った時には手助けしてくれるような
良い天狗になりました
めでたし、めでたし
みたいな天狗の話が多かったな
10月16日
今日はその おGちゃんの家の近くが現☆場だったので
懐かしいと思いつつ自販機探しのついでに近くを散策す
ここは岡丸のサッカー場
俺の昔の記憶では
こんななボールのモニュメントなんてなかったな
えーと
確か、ここのサッカー場から1本道を挟んで
ここの川の........
あれっ? 川なくなってる!
正確に言うと
川はなくなってはいないが
このコンクリートの下に川が流れている
川面が見えなくなってしまった
これはさみしい.......
ずっと昔は ( 今でもかも知れないけど )
ここの川には鮎がいっぱい居た筈だ
俺の おGちゃんも ここの川で鮎釣ってきて
幼い頃の俺とT壱に焚き火に当てた焼き鮎を食べさしてくれたのに
その川が、こんな事になってしまったのか
ええと
この川沿いに
昔に おGちゃんが話してくれた
キツネのお堂があった筈だけど
これかな
こんなに小さいお堂じゃなかった気がする
もうちょい上流のほうだったか?
とりあえず
中身を観察してみたら
口元に微笑を浮かべた地蔵様がおりました
おGちゃんの話を思い出して
それを端折りながら書いてみる
むかし、むかし
この近くで大名行列がありました
村人たちが道の端っこで地面に頭をつけて見送っていると
1匹のキツネが大名行列の最中の道を横切ってしまいました
ふとどきものっ! ちくしょうめが! とらえてくびをうってしまえ!
ということで
可哀想に
大名行列の先頭を横切ったばかりに
そのキツネは捕らえられて
その場で首を刎ねられてしまいました
後日
キツネの事を可哀想に思った村人が
鎮魂の為にお堂を建ててあげました
めでたし、めでたし
どこがめでたいのか........
と、幼い頃の俺は思った
キツネちょーかわいそうだし
そんな心の狭い殿様など死ね
と、思いました
今もその思いは変わらないけれど
所詮、脚色だらけの昔話だから
まあ、アレだなー と、思う
野生のキツネが、そんな簡単に捕らえられる筈がないし
どうなんだろう?
昔の人は野生のキツネでもタヌキでも
簡単に捕らえられる技術を持っていたのかな?
殿様の大名行列って
岡丸城の殿様のだったのかな?
岡丸城の城主の家計が何代続いたのかも知らんし
いつまで城に居たのかも知らんし
べつに調べたい気持ちにもならないし
これはこれで
なんとなく心の片隅に覚えているのがいいと俺は思う
あと
おGちゃんは、キツネの話を こう続けた
そのキツネは田竹の出身で
田竹のアブラアゲが大好物だから
このキツネのお堂に田竹のアブラアゲを供えてやると
キツネが喜ぶ
つってた
そんな昔から田竹の油揚って名物だったのかな?
うーん........
でも、調べぬ
せっかくうちの おGちゃんが
幼い頃の俺が喜ぶようにと
いろいろと昔話を脚色して面白くして聞かせてくれたんだから
その嘘を暴くような事はせぬ。
2012/10/16 EDIT CATEGORY:懐古 ▲ TRACKBACK URL
9月26日
ちょっとM邸の近所を散策
見慣れない新しい住宅も多く建っていたが
どこを見ても、やっぱり懐かしい
みんなと度胸試しで飛び降りた2mくらいの塀垣
プール駐車場の砂場に埋めた宝物
色々と、いっぱい、思い出しながら歩いた
そして
昔、慣れ親しんだ羽足川の堤防
昔は
こんなに綺麗に整備されてなかった
草もボーボーだったな
もと住んでた家から犬の散歩に丁度良い距離だったから
犬の散歩つったら、ここに来てた気がする
飼ってた犬の名前は
『 なつ 』
漢字で表すと
『 夏 』
俺が命名した
昔から夏が好きだった
雌の犬だった
うちの横の極狭い通路を通って
その先の猫の額ほどの裏庭に
バスタオルと一緒にダンボールの箱の中に入っていた子犬
俺が飼いたいと頼んだ
どうしても飼いたい
飼ってくれないなら
おとうさんも、おかあさんも、だいきらいだ
すくすく育った
そっこうで俺の年齢を追い抜いて
俺にとっての、お姉さんみたいな犬になった
だけども
性格は、知能は、馬鹿犬の部類に入っていたと思う
俺が飼主だったから似たんだと思う
なつ は、レトリーバーでもない雑種なのに
泳ぐのが得意・大好きな犬だった
しかも
《 首輪抜け 》 の名手だった
おい、もう、帰るぞ
帰るんだったら!
たっぷり散歩したじゃないか
ぐいぐい
ぐいぐいぐい
スポーーン!
あああああ!
数秒、見詰めあう俺と なつ
なつ の口元に笑みのような表情が浮き出たように感じた瞬間
なつ 猛ダッシュ
俺の股の間を抜けて反対側へと駆け抜ける
俺が振り返ると
そこには
得意気に嬉しそうに
尻尾をブンブン振りながら俺を見ている なつ
わかった........
わかったから!
俺の負けだから!
な、な!
動くなよ
じっとしてろよ
ほら、な、頼むよ なつ
抜けられた首輪を片手に
そうっと、そうっと近づく俺
なつ の瞳がキラリと光り
右! と、思わせて 左へ飛び退き
俺の体勢は脆くも崩れ去り、尻餅をつく
そんな俺の姿を笑うように
なつ は ひとこえ、ワン! と、吠えて
チャ! チャッ! チャッ!
と、爪音を響かせながら川面まで走りこむと
そのまま羽足川にダイブ
うわああああああああああああああ
なああああああああああああつぅぅぅううううううううう
おぼれる! おぼれちゃうよおおおおお
もどってきてーーーっ
おねがいだからーーーーっ
散歩の距離も倍に増やすからーーーーっ
うああああああああああああ
と、泣き叫んでいる俺に見向きもせず
悠然と羽足川を反対側まで泳ぎきり
対岸から
わん! わん! ( わたしは自由を手に入れました )
いつも
そうやって家出すると
3日は家に帰ってこなかった
どこで、なにをやっていたのか分からないけど
泥だらけで帰ってきた
しかも
なんとなく、申し訳なさそうな顔で帰ってきた
『 ごめんなさいね、たのしかったものだから 』
『 でも、おなかがすいたから、かえってきました、えへっ 』
怒るに怒れなかった
俺はその3日間、心配で心配で寝るに寝られなかったくらいなのに
ほんと、馬鹿犬だった
なつ の形見の首輪
過去の黒サーフ時代から現在の白サーフになってからも
ハンドルのワイパー・レバーのとこにぶら下げている
お守りのつもり、ではないけれど
( あの馬鹿犬が守ってくれるなんて思えない )
今も なつ を大事に想っているという事の証しだ。
2012/09/27 EDIT CATEGORY:懐古 ▲ TRACKBACK URL
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